Special Interview – Detail
SUYA JOURNAL

「自然とともに暮らすということ」

Special Interview 真砂三千代

Special Interview / 真砂三千代

はじめに

今日はよろしくお願いします。

プロフィールをどこから話そうかしら。

私は、Afaを始める前は東京でファッションの仕事をしていました。学卒業後、当時“鐘紡”と呼ばれていた会社のファッション研究所に入り、布の開発をしていたんです。でも、大きい会社って動きが遅いでしょう。面白くなくてね。周りはファッション畑の人ばかりで、2年半くらいで辞めてしまいました。

はじめにのイメージ

東京での仕事と、その先に見えたもの

辞めたあとは、パリコレの仕事などをフリーでいろいろしていました。

当時“7人目の日本人”といわれていた方のコレクションスタッフになって、気づいたらディレクターみたいになっていて、全部仕切るような感じで。

忙しかったけれど、夜遊びもしていて、まあ楽しかった。でもそのうち「何のためにやっているのか」がわからなくなってきて。デザインのためのデザイン、という感じでね。


インドで気づいた“本当の美しさ”

その頃、インドに行ったりしていました。

普通のおじさんが着ている日常の布が、とても素敵だったの。そこに全部のデザインのソースがある、というような衝撃で。「ああ、私はこういうものに惹かれるんだ」と思いました。

「住もうかな」と思って行ったこともあるんですよ。でもいろいろあって、コレクションが終わったところで、もう東京の仕事はいいかなと思って辞めました。


妊娠、自然食との出会い

その頃、妊娠していたんです。

辞めると言ったら夫も「じゃあ僕も辞めようかな」と言い出してね。

青山の大きな家を出て、夫の実家がある埼玉に移りました。

そのとき、自然食で体を治した友人がいて、玄米菜食やマクロビの考え方をたくさん話してくれたの。「お腹の中にいる間に正しい食べ方をするのは大事だよ」って。

それを聞いて、「そりゃそうよね」と思って、翌日から自然食に変えて、玄米菜食にしたんです。

自然食屋さんに行くと、精神的なことを書いた本がたくさんあって。恵比寿か渋谷にあった“テンミー”という自然食屋さんでは、食堂もあって、壁にはいろんなチラシが貼ってあって、そういう哲学的な話がたくさんあった。そういうのを読んでは「私はこういうのが好きなんだな」と思ったりしていました。

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葉山への移住と、“オアシス”の時代

息子が1歳半くらいのとき、バリに行って、そのあと葉山に移りました。

友達が何人か住んでいたので、居候しながら家を探して。

そのとき“陰陽洞”のせいちゃんがいて、海の家をやらないかという話があって、“オアシス”を作ったんです。最初は何もしていない人が集まってるように見えたと思う(笑)

7人くらいで始めて、息子は裏でお昼寝しているような環境で。

同じくらいの年の子どもたちがいて、みんなござの上で寝ていたり。本当に“オアシス育ち”なのよ。

妊娠中から玄米菜食をしていたから、「もう育ったな」という感じもあって、その後は細かくケアしたわけじゃないの。


ものづくりとの再会

ファッションの仕事は嫌になっていたけれど、葉山に戻ってくると「服を作るのは好きだよね」と思い始めたんです。

バリでは、裏で染めて服を作っているような人たちと出会ってね。すごく小さな規模で、手でやっている。私は大きい企業にいたから“1人ではできない”と思い込んでいたけれど、「ああ、こういう人たちはできているんだな」と思って。

「自分のサイズでやればいい」ということに気づいたんです。


SUYAが始まるのを見ながら

SUYAが始まって、自然栽培という言葉が出てきたとき、「うちもそういうルーツがあるな」と思って、だんだんピースがはまる感じで形になっていったように見えました。

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アイテムを使ってみて感じたこと

私は昔からほとんどお化粧をしないんですけど、この化粧水はしっとり感がすごいと思いました。季節によって、そのまま使ったり、少し混ぜたりしてね。

陶器の容器も、友達がとても褒めてくれました。焼き物で仕上げたというのは、やっぱり特別よね。

「安心して使える」というのが大きいです。

皮膚って本当に浸透するのよ。昔は藍染の布を患部に当てて治したりしていたくらい。だから、自然なものであることは大事だと思う。

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これから

ブランドとして広げるのは本当に大変だと思うけれど、

こういうものづくりは、これからの時代に合っているんじゃないかな、と思っています。